最新更新日:2024/05/12
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人権週間「ぜひ読んでいただきたい」

今から紹介する作文は、第29回全国中学生人権作文コンテストにおいて「内閣総理大臣賞」を受賞した作品です。石川県羽昨市の中1女子生徒作:「笑顔のために」 ※12/6昼の放送で全校生徒に紹介しました。人の温かさ、やさしさ、強さなど感じられることでしょう。

 私はかわいそうな子どもなのでしょうか。私の家族は気の毒な家族なのでしょうか。
 私の両親は、障害者です。父は全く目が見えず、母は全く耳が聞こえません。けれど、私が物心付いた時からそのような状態でしたから、あまり違和感を感じたことはありません。近くに住む祖父母の助けもありましたが、父は鍼灸マッサージ師として働き、母は事務を執りながら私を育ててくれました。確かに急いでいる時に少し困ることもありますが、あとは普通の生活です。私は両親が大好きです。二人は、私の良き相談相手であり、とても頼りになる存在です。
 母の障害のことを知っている友達には、時々「どうやって話をしているの」と尋ねられることがあります。母は、文字を読み、私たちと筆談し、私の唇の動きで私の声を聞き、私に話しかけます。母の発音は他の人とは違いますが、私たち家族には、ちゃんと母の声が聞こえます。でも、それをどう説明すればいいのかわからなくなってきました。いくら説明しても、わかってもらえないような気がするからです。
 前にもこんなことがありました。近所のおばさんが、通りかかった私に、こんな声をかけてきました。「いつも大変やね。えらいね。ようがんばっとるね。かわいそうやね。」と。
 『かわいそうやね』この言葉が一番ショックでした。私は、大変だとか、かわいそうだとか、不幸だなどと思っていなかったのに。確かに両親に障害があるために、多少困ることはありますが、私たち家族のことをよく知りもしない人に『かわいそう』と決めつけられたのです。両親の愛情も苦労も知らない人に、両親の心を、そして私たち家族を踏みにじられたような感覚でした。同時に、こんな風に同情の言葉だけ掛けて気の毒そうに見る人がたくさんいることが残念です。『障害者』に育てられることはかわいそうなことなのでしょうか。
<中略>
 人間は皆平等でかけがえのない存在。よく耳にする言葉です。でも、障害のある人もない人も平等なのだろうかと私はずっと考えてきました。そして少しずつわかってきたことがあります。
 人は、一人一人が大切な存在。その人がいることが誰かの生きる力になり、喜びになる。たとえ苦しいことがあっても、その人の笑顔があれば、あきらめずにやっていける。そんな不思議な力がすべての人に平等に与えられているのではないでしょうか。そして私の家族はきっとそんな力にあふれた家族です。
 私は、弟の笑顔を見ているとホッとします。両親の笑顔も、見ているとホッとします。その笑顔のために私が手伝えることは、もっとありそうです。だって私は、二人の娘なのですから。
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